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記事一覧(63)

僕は爪

ライブが終わった。拍手が鳴り止まずギタリストのオジサンは ちょっとはにかんだ表情でお辞儀をしてアンコール曲を演奏したよ。 オジサンは街の小さなバーやカフェで ギターを演奏しているんだ。僕は爪、 オジサンとずっと一緒に旅を続けて来た。だからオジサンのライブの後はいつも、みんなが拍手を止めないことを
知っているんだ。オジサンのライブにやって来る人は、仕事帰りのサラリーマン、 家事を早めに片付け駆けつけたお母さん、同僚に言い訳しながら 仕事を早めに抜けてきたOLのおねえさん、みんなオジサンのギター演奏を 聴くのを楽しみにしているんだ。ライブの時、 オジサンは曲の間に面白いお話をしてみんなを笑わせるんだ。 だけどいつも演奏が進むと 不思議なことが起こるんだ。 オジサンの演奏に身体を揺らせ、聞き惚れながら涙を流す人がいるんだ。 でも、その人は ちっとも悲しそうじゃないんだ。 ライブ会場に入って来た時、暗い顔をしていたその人は、 涙を流しながら目をキラキラさせて、 明るい顔になって行くんだ。僕はとっても誇らしい気持ちになるよ。だって目立たないけれど、オジサンの演奏にとって 僕はなくてはならない相棒なんだ。僕は簡単に割れたり欠けたりして オジサンのギターの音色を損ねないように身体を頑丈に鍛えているんだ。だけど、オジサンのギターの音色に 聞き惚れる人はたくさんいても、 僕がこんなに頑張っていることを 知ってる人はあまりいないんだ。でもいいんだ、僕がいなければ オジサンの深いギターの音色が 出ないことを誰よりもオジサンが 知ってくれている。僕は目立たないところでいい音を出す。それでいいんだ。それにオジサンは僕のことを とても大切に思ってくれているんだ。僕が乾燥して割れたりしないように 保湿して割れにくい形に切り揃えてくれる。 僕はオジサンが
ギター演奏をする相棒になって、オジサンが奏でたいと思う音を 出せたら嬉しいんだ。オジサンのギターの音色は、 疲れたサラリーマンや 家事に追われるお母さんや 同僚に気ばかりつかっている OLのおねえさんやみんなを 喜ばせて元気にするんだ。僕はそんな姿をみると たまらなく嬉しくなるんだ。僕は爪、目立たないところでいい音を出す。それでいいんだ。

自分を大事にできないあなたへ

診察が終わると、心療内科の医師が志保に言った。「もっと自分を大事にしてあげて」もっと自分を大事にしてあげて、 と言われても志保には正直なところ、どうすればいいのかわからなかった。 「そんなこと言われても、どうしたらいいかわからない!」 と少し腹を立てた。処方箋を持って薬局に行き、逃げるようにタクシーに乗って家に帰った。 バスに乗る元気がなかった。鬱を患って4年経った。急性期の辛い症状は脱したけれど、 すっきりできずに 病気は一進一退を繰り返していた。自宅に着くとすぐにパジャマに着替えて、ベッドに潜り込んだ。考えてみると診察日以外は、志保は一日中パジャマを着て、ベッドでゴロゴロ過ごしていた。髪はザンバラ肌はガサガサだった。
 そんなある日、志保は、 いつもよりも少し早く起きることができた。珍しく肌の手入れをしてみる気になった。 コットンを使って丁寧に化粧水や乳液を顔につけた。 それだけなのに肌がしっとりしたようで、少し気分が良くなった。せっかくなので少しメイクもしてみた。 バサバサの髪には、 トリートメントをつけて、 サイドアップにしてみた。うれしくなって、 お気に入りのワンピースを着てみる気にもなった。 
なんだか気分も良くなって、 不思議なことに 外に出てみる気になった。外に出るといつもは軽く目礼するだけの隣のおじさんに 「志保さん、お出かけですか?」と声をかけられた。バス停でバスを待っていると、 知らないおじいさんが、「そこは風が強いから
こっちに来なさい」と言ってくれた。
 美味しいと評判のパン屋さんで、噂のミニクロワッサンを買うと、おにいさんが、内緒で
1つおまけしてくれた。 
なんだかみんながいつもよりずっと、丁寧に志保に接してくれた。 志保を大事にしてくれた。考えてみると、志保はいつも自分を後回しにしていた。自分を大事にしていなかった。 
「私は自分の肌や髪や服装と言った、小さな手間も自分にはかけてこなかった。誰よりも自分を粗略に扱っていたのは、他でもない私だったのね・・・」と志保は思った。「自分を大事にする」とは、そんなに大げさなことではないようだ。自分の肌や髪や身体を労ってあげる。 自分の好きな物で自分を飾ってあげる。自分の好きな物を買ってあげる。自分の行きたいところへ、 自分を連れて行ってあげる。「なんだ~『自分を大事にする』って、 そんなに難しいことじゃなかったのね」 と志保は思った。
 志保はパン屋のおにさんが、 おまけしてくれたミニクロワッサンを 一つ取り出して食べた。 とても美味しかった。 小さなことからでいいから、 自分を大事にしてあげようと思った。 きれいにメイクして、 お気に入りのワンピースを着て、 自分を大事に思い始めた志保の笑顔は、 とてもチャーミングだった。

過労死した夫の思いを胸に生きる

大手広告代理店の女性社員が過労死された 報道を聞いて真っ先に頭に浮かんだのは、夫のことでした。私の夫も過労死しました。 夫は建築士で工務店に勤務していました。毎朝毎朝6時40分に出勤し、帰宅するのはだいたい10時半、12時を過ぎることもしばしばでした。
 休みは、平日に1日か半日、休日は、会社から夫の携帯に じゃんじゃん仕事の電話がかかりました。連休は、ありませんでした。 平日よりむしろ忙しかったです。仕事を持ち帰ることもよくありました。夫は設計部長だったので、仕事をいくつも抱えていました。社長から「仕事が遅い」、といつも責められているようでした。夫は無口で愚痴は言いませんでしたが、社長からのプレッシャーは、相当に堪えていたようで、 私によく愚痴を言っていました。同族会社で専務が過労で倒れた時、父親である社長が、 「修行が足らん!」と言って、激しく叱ったと夫から聞きました。時代錯誤甚だしい会社です。 そういう雰囲気のある会社なので、 夫は38度を越える熱のある日も、 出勤していました。滅私奉公の会社のイデオロギーに 毒されていたのです。夫が死んだ時、私は「会社に殺された!」
と思いました。今でも思っています。 夫は間違いなく過労死したのです。この悲しみと怒りが、消えることはありません。でも同時に、私はそんな会社を、辞めさせなかった自分を責めました。 私は当時公立中学の教員でした。夫の様子を見て何度も、「私の給料だけでも二人生活していけるから、 今の会社を辞めて独立したら?」 と言いましたが、夫は会社を辞めようとしませんでした。なぜ、あの時夫を説得しなかったのだろう。なぜ、仕事を休ませなかったのだろう。なぜ、もっとしっかり 健康管理しなかったのだろう。 後悔と自責の念ばかりがつのりました。夫の後を追って、死にたいと思うこともありました。 夫が亡くなって7年経ちました。 最近「終活」と言う言葉を耳にします。 夫のことがあるので、 あまり終活に触れたくない気持ちが、 私のなかにありました。でも今は、 「もし、夫が自分の死に向き合い、どのように死を迎えるかを 考える機会があったら、夫はどうしていただろう?」 と考えるようになりました。 
「死」を意識していたら、夫は自分の生活を充実させることに 目を向けられたのではないか。つまらない外聞や人目を気にせず、 生きられたのではないか。もっと健康に配慮できたのではないか。夫の過労死は耐え難い経験です。 でも、その経験を通して、私は強烈に「死」を思いました。 
「つまらない外聞や人目を気にせず、 健康に配慮して、自分の生活を充実させて欲しい」 
それは無念の死を遂げた夫が、 私に送ってくれたメッセージだと 思っています。夫が命と引きかえに送ってくれた 魂のメッセージを心に、 死と向き合い、充実した生を送っていきます。

玉子焼き

目を覚ますとそこは、いつもの自分のベッドではなかった。見慣れない重い掛け布団に包まって史子は寝ていた。 とにかく頭が痛い。しばらくすると昨夜のことが ボンヤリと思い出されてきた。 史子の会社に時々営業で現れる智と、偶然に飲み屋で会って 意気投合してつい深酒してしまったことが 苦々しく蘇った。あたりを見回すと、今時よくこんな昭和な部屋があるものだと感心するようなささくれだった畳の古くさい和室だった。布団も和式の敷布団と掛け布団だった。史子の気配に気づいたのか、台所らしい部屋から智が顔を出した。「おはようさん。 朝飯つくったけど食える?気分はどう? 昨夜だいぶ吐いてたからな・・・」ーえええ~! 私は智の部屋に泊まったんかいな?!ー と仰天した。慌てて自分の身仕舞いを確認すると、 カットソーとパンツ姿だった。 ジャケットはハンガーに掛けて、障子のサンに吊るしてあった。「水飲んだらすっとするで」と言って智が水を持って来てくれた。喉が乾いていたのか、冷たい水がとても美味しかった。 頭は痛いが何とか起きられそうだった。「朝飯どうする?」と智がもう一度尋ねた。  「ありがとう。でも、ええわ。 私、朝はコーヒー飲むだけやし。 洗面所使わせてくれる?顔を洗うわ」 「そっか~わかった。 洗面所はこっちやで」と案内してくれた。智の昭和な借家は3部屋あって、史子が寝ていた寝室、隣に居間があって、居間の隣が台所だった。顔を洗って台所の横を通ると、朝食の準備が出来ていた。 ご飯の炊けたいい匂いがしていた。美味しそうなお味噌汁の匂いもする。智が焼いたらしい玉子焼きが、二切れずつ小皿に並べられていた。 小鉢にはほうれん草のおひたしがあった。ーひえ~、
私が寝ている間に智が作ったんやー「史子さん、食べて行かへんか?僕の朝飯は美味しいで」 と智は人懐っこい笑顔で言った。 「そやね顔を洗ったら気分もようなったし よばれよかな」 「そうし、一緒に食べよ」 と智は嬉しそうにいった。智は居間のコタツの上に茶碗や皿を並べ、甲斐甲斐しく朝食の膳を整えた。ご飯はピカピカで、味噌汁は豆腐とわかめだった。コタツで智と向かい合って 朝食を食べ始めた。 ー美味しい!めちゃくちゃ美味しい!ー史子は最近朝はコーヒー、昼はコンビニのサンドイッチかおにぎり、 夜は外食するか、家で食べる時はコンビニ弁当や冷凍スパゲッティだった。とにかくお腹さえふくれたらいいと言う 食事をしていた。智の玉子焼きは物凄く美味しく、史子は母の玉子焼きが好物だったことを 思い出した。家庭的だった母が、今の史子を見たらどう思うだろうと 複雑な気分になった。 「史子さん、玉子焼き好きなん?僕の分を一切れあげよか?」と智が言った。 有名女子大を出て、そこそこ有名な会社に就職して、 仕事が出来ることで 認められるのが嬉しくて、今日まで来てしまった。気がつくと40代半ばだった。史子は上昇志向が強く、 「いい大学を出て、いい会社の社員で、仕事ができて、容姿もそこそこ良くて」 とより好みしている間に、妻子持ちにいいように遊ばれ、痛い思いをしただけだった。 自分の玉子焼きを一切れ差し出す素直な智の優しい言葉が胸に響いた。昨夜の記憶が定かなら、智は史子より一回り年下で30代前半だ。童顔のせいか年齢よりずっと若く見えた。ーこんな若い子の優しさが、こんなに身にしみるなんてーと史子は自分に戸惑った。智はもりもりご飯を食べながら、 「僕は朝はごはん派なんや。その方が身体に力入るし。史子さん、コーヒーだけなんてあかんよ」 と言った。 「そやね・・・」史子がポツンと言うと、智は思い切ったように言った。 「僕な、前からいつも思っててん。史子さんに美味しい朝飯を食べさせてあげたいなって。 一緒に食べたら美味しいやろうなって。史子さん、いつも忙しそうに一人でサンドイッチやおにぎり食べながら仕事してるやろ?」 「・・・」 「史子さんさえよかったら、毎日ここで僕と一緒にご飯食べへんか? 僕が毎日、朝飯を作ってあげるよ」史子は胸がいっぱいになった。智が差し出してくれた玉子焼は涙が出て食べることができなかった。

ごめん堪忍してな

弘樹がもう何度目かわからん*ODをしたのはクリスマスの朝やった。 私が朝、目を覚ますと ロレロレの弘樹本人から電話があった。「またODしてもうた」 「またなん?!」 と言ったけれど、 気になって弘樹のアパートに行った。 郵便受けから鍵を取って
部屋に入ったら、弘樹はいびきをかいて寝ていた。何をしてあげられるでもなく、寝ている弘樹の顔を眺めていた。弘樹は売れない画家で生活の為に カルチャーセンターの絵画教室で 講師をしている。私は作家志望で、弘樹と同じ
カルチャーセンターの事務員をしている。 そこで弘樹に出会った。絵のことは何もわからなかったけれど、私は弘樹の描く花の絵が好きやった。ある時、弘樹に絵を見せてもらっていたら、「由紀子さん、 気に入ってくれたんやったらあげるわ」 と言ってシクラメンの絵をくれた。 それが親しくなったキッカケやった。 画家の弘樹と作家志望の私、 同じ表現者として気が合った。  弘樹の絵は本当に穏やかで優しく、 ファンもけっこういる。 「どこかのギャラリー借りて個展をしたら?」「いや僕はまだ修行中の身やし」 「今度、美術館でコンテストがあるよ?」 〆切ぎりぎりになってから、「やっぱり僕は遠慮しとく」「弘樹さんの絵のファンです。 この絵を売って下さい」「いえ、買ってもらうなんて恐れ多いです」こんな調子で弘樹はいつも チャンスから逃げてばっかりやった。恋愛に対しても同じで逃げてばかり。ほんましょうのない 「あかんたれ」なんやから。あ!私は弘樹の恋人と違うよ。弘樹には麗子さんと言う 恋い焦がれている女性がいる。 私はと言うとそんな弘樹がずっと好きで、ほっておけずに側にいる。なんのことない私もアホですわ。  弘樹の寝顔を見ながら、 そんなことをしみじみ考えていた。今度のODのキッカケはなんやろ? 麗子さんに新しい男の人ができたんかな?カルチャーセンターの生徒数が減って 教室存続が厳しいのかな? 思うように絵が描けへんのかな?今まで何度こんなことがあったやろか?そやけど知ってる弘樹? 弘樹が麗子さんのことで辛そうな時、私がどんな気持ちで弘樹を見ているか。カルチャーセンターを首になったら、弘樹がどうして生活していくか どんだけ心配しているか。 弘樹が絵を売り込むことから逃げてばかりいる時、どんなにもどかしい思いしているか。弘樹、さすがに私も疲れてん。弘樹のことを嫌いになったんとちがうねん。もうしんどなってん。辛なってん。 堪忍してな。 私、小さな文学賞やけど賞を取ってん。ある作家先生が「うちへ勉強においで」 と言ってくれてはるねん。 もうじきこの街を離れるねん。弘樹の部屋に来てから どのくらい時間が経ったやろうか。やっと弘樹は目を覚まして、私の目を見て言った。「あ!由紀子さん来てくれたんや。ありがとう」 私は気持ちを見抜かれたようで ドキッとした。曖昧に笑ったけど物凄く胸が痛んだ。弘樹を見捨てて行くようで。ごめんな、弘樹。弘樹は珍しく、じっと私の目を見てもう一度いった。「由紀子さん、いつもありがとう」でもなんでやろ、 一度も私を振返ってくれへんかったのに。 勝手なことばっかり言って私を振り回してばっかりやったのに。 困った時だけ頼って来たくせに。わからんけど、めちゃくちゃ悲しいわ。 ごめんな弘樹。堪忍してな。

自分の素直な願望に蓋をするのは止めたから

善子は真面目な 優等生タイプの女の子でした。いつも取り澄まして自分の素直な願望に蓋をしていました。例えば、「可愛く見られたい」、 「モテたい」、
「誉めて欲しい」等々、本当は禿げるほど真剣に考えているのに、「そんなことは全然考えていません」 とばかりに取り澄ましていました。若い女の子にとってそのような願望は、ごく素直な自然な願望です。それなのに善子は、そういった願望を 素直に行動に移せる女の子がいると、ものすごく反感を感じて、「なんてかっこ悪いの! 私はそんなことしないわ!」と毛嫌いしていました。でも、それは嫉妬以外の 何ものでもありませんでした。善子は自分が自意識過剰で人目ばかりを
気にして格好をつけていることに 気が付きませんでした。でも、実際のところ、まわりの人は善子が思うほど善子に関心なんてないのです。善子は虚しく何十年も そういう生き方を続けてしまいました。まわりからは 「謙虚で控えめなのにしっかりしている。頼りがいがあるいい人だ」 と言われました。でも、いつも心には、大きな空洞があるのを感じていました。ある日、どうしてもそんな生き方が息苦しくて耐えられなくなりました。とても怖かったのですが、善子は自分と向き合って 自分の願望に素直になりました。文学少女だった善子に見えて来たのは 作家になりたい夢でした。 今から始めるなんて遅すぎる!才能なんてないのに!私の作品なんて誰も読んでくれないわ! 売れるわけない!ネガティブな発想で 心がいっぱいになりました。でも、やりもしないで今以上に年をとり、 何もできないまま死んでしまうのは、 耐えられないと思いました。 善子は 今よりずっと若い20代の頃も、30代でも、40代でも 「今から始めるのは遅すぎる」 と思い込んでいました。才能なんてあるかないか 作品を書いてみないとわからない。作品を発表しなければ誰も読めない。出版する前から 「売れないから書かない」と決めつけるなんて 言い訳以外の何ものでもありませんでした。 「とにかくやってみよう、 どんなにかっこ悪くてもいいから」と思いました。 人にどう思われるかばかりを気にして
生きて来たので、自分の願望を素直に行動に移すのに ものすごく勇気が必要でした。 でも、善子は投稿サイトに作品を発表し、 電子書籍を出版し、ブログやSNSで本の宣伝をしました。善子は作家になったのです。作家と名乗ることに 抵抗が無くなったわけではありません。でも「誰に向けて何を書きたいのかを考え、地道に発信を続けて実績を作るだけだ」 と善子は考えるようになりました。善子は今日も作品を書いてブログやSNSで発信し、名刺やセルフマガジンを持って 「古川善子です。 エッセイや小説を書いています。よろしくお願いします」と挨拶します。もうどのように見えるかは気にしません。自分の素直な願望に蓋をするのは止めたからです。  

本心を語れない口、真実を語る表情

先日、久しぶりに幼馴染と会った。彼女も一時は私と同じように、鬱に苦しんだことがある。久しぶりに会った彼女は、明るい色のスッキリしたスーツを着て、綺麗にお化粧をしていた。鬱はすっかり良くなったこと、以前フルタイムで勤めていた職場に パートタイムで勤め始めたこと、趣味の絵手紙が楽しいこと、 絵手紙教室の友だちと日帰り旅行に行ったこと等々を 楽しそうに話した。私はふんふんと聞きながら、彼女の頬がこわばっていることが、気になり始めた。そう思うと 彼女の眉が、釣り上がり気味なのも
気にかかる。笑顔も心なしかこわばって見える。彼女はこわばった笑顔で、「だから大丈夫やねん」「そやしもう大丈夫」 「もう大丈夫やねん私」と「大丈夫」を繰り返した。  彼女が紅茶に口をつけた時、「うん、もう大丈夫なのはわかったし、大丈夫でなくなったら、 いつでも言うてな」
と私が言うと、彼女の頬が震え出した。眉もピクピクし始めた。みるみる目に涙が溢れた。彼女は涙を流しながら、鬱はスッキリ治ったわけでなく、パートでも仕事に行くのが辛いこと、  息子と娘の学費が高くついて、夫の給料だけでは家計が厳しいこと、
 絵手紙は楽しいけれど、 「仕事は出来なくても、 絵手紙教室には行けるのね」と言って、 家族が理解してくれないこと、 絵手紙教室友だちとの関係が、 案外と難しいこと等を話してくれた。 
話し終わると、 「大丈夫」を繰り返していた時とは、全然違う柔らかい表情になっていた。「久夢ちゃんに話したら、 なんかスッキリしたわありがとうな」と言ってはにかんだように笑った。その笑顔は一緒にごっこ遊びをした頃の彼女の笑顔だった。口は案外と本心を語れず、むしろ表情の方が 真実を語るのだなと、昔の面影濃い彼女の笑顔を見ながら、私は思った。

書き物机になったダイニングテーブル

私はこの家のダイニングテーブルです。私は大柄なんですよ。幅は185cm奥行きは85cmあるんです。これでも一枚板でけっこう高級なダイニングテーブルなんです。この家のお父さんとお母さんが、私が居たお店にやって来て、あちこちテーブルを探していたのです。その時、お母さんが小さい安物の ダイニングテーブルを買おうとしたら、 お父さんがこう言いました。 「これからは、お前のご両親と一緒に暮らすのだし、浩次君もいずれ結婚して、みんなで一緒に食事する機会が増えるよ。 大きな上等のダイニングテーブルにしようよ」 お母さんも納得して、私はこの家に来ることになったのです。 この家に来て、 お父さんやおじいちゃんや浩次君が、 大好きなすき焼きをしたり、お父さんの大好物のカニを
みんなで食べたり。 私のところに集まっては、みんな楽しそうに過ごしていました。 ところがある時、 おばあちゃんの姿が見えなくなり、浩次君もあまり家に来なくなりました。おばあちゃんは亡くなったのです。 みんなが集まることは少なくなったけれど お父さんとお母さんは、毎日私の所でご一緒に飯を食べました。ある朝、お父さんが私の所で、 トーストを食べて牛乳を飲んで、「これから社員旅行に行って来るよ」と言って出かけて行きました。私の上に牛乳瓶の蓋を残して。 その日、お母さんは私の所で、 独りでご飯を食べました。 ところが、その次の日も、 その次の次の日もそしてその次の日も、お父さんが私の所で、 ご飯を食べることはありませんでした。お母さんは私を悲しそうに眺めて、おじいちゃんの部屋に降りていきました。それからは夕方になると、 お母さんは辛そうに私を眺め、 お母さんも私の所で ご飯を食べなくなりました。お母さんは、雑誌、新聞、郵便物、 宅配便の箱などを 私の上に置くようになりました。もうだれも私の周りには来なくなりました。お母さんも私も寂しく悲しい日が
続きました。そんな日がどのくらい続いたでしょう。ある日、お母さんは涙を拭いて、私の上のガラクタを整理し始めました。綺麗になった私の上に、パソコン、筆記用具、手帳、ファイル等を きちんと並べました。 お母さんは私の所で、もうご飯は食べませんが、毎日、パソコンに向かって、 エッセイや小説を書くようになりました。そうです、お母さんは作家になったのです。こうして、私はダイニングテーブルから、お母さんの書き物机になったのでした。

私、おはぎって食べ物が許せないの!

「私、おはぎって食物が許せないの!」 美沙子さんは、突然に言った。英会話教室の自由時間に、 おはぎの話題で盛り上がっていた時のことだ。「・・・?!」

座が白けて、みんなが黙った。「だいたい、あの粒あんが許せないわ!中途半端に皮が残っていて・・・ それに餅の部分もそうよ。 お餅なの?ご飯なの?あの中途半端な餅も許せないわ!」 美沙子さんは当惑したみんなの顔を 見ても構わず続けた。 言うだけ言うとテキストを取って、自習を始めた。 美沙子さんは40才前後だろうか。 目鼻立ちの整った美人で、均整の取れたスッキリしたスタイルで、いつもお気に入りのブランドの洋服を オシャレに着こなしていた。英会話教室の友だちの話しでは、 有名な国立大学の大学院を卒業し、 一流企業に勤めていたらしい。 才色兼備を絵に描いたような女性だった。 そうこうするうちに休憩時間が終わり、授業が再開された。リンダ先生が、 モデル会話の説明をされると、美沙子さんは電子辞書を引きながら、熱心にノートを取っていた。ところがリンダ先生の説明が終わって、会話の実践練習をする時間になると、 美沙子さんは絶対に一言も、 英語を話さなかった。 私たちが怪しい英語で会話し、 きゃあきゃあ言っていると、 美沙子さんは冷たい白けた目で、 私たちを眺めていた。 ちょっと英語っぽい表現を知りたくて、 リンダ先生に質問したり、 会話を続けていると、 「もういいですか?」 と美沙子さんに制されることが、 よくあった。 それでいて、 会話が美沙子さんの順番になると、「私は間違った英語を話したくないので、英文法をマスターしてから、 会話に参加します」 と毎回同じことを言った。「まあ通じればいいかな」と言うレベルの
私たちとは、話したくないようだった。美沙子さんは美人で頭もよく、能力を発揮できる仕事に就いているのに、 何となくいつも不満そうで、楽しそうには見えなかった。私は、美沙子さんといると 何となく落ち着かない気持ちになった。しばらくすると、無遅刻無欠席だった美沙子さんが、 急に教室に姿を見せなくなった。 美沙子さんには申し訳ないけれど、私は少しほっとしたような気分になった。 噂好きで通っている高子さんが、「美沙子さんがメンタル病んで、 入院しているらしいわよ~」 と言った。 私はドキリとして、 何故か突然におはぎのことを思い出した。皮がのこって中途半端な粒あんが、許せない美沙子さん。 お餅かご飯か、はっきりさせないと、 我慢できない美沙子さん。 完璧な英語を話すまでは、 中途半端な英語を絶対に話したくない美沙子さん。 美人で頭も良くて、有名な大学の大学院を出て、 一流企業に勤めていても、 いつも不満げで楽しそうでなかった 美沙子さん。  私は美沙子さんに皮が残っている粒あんも美味しいことを 知ってほしいと思った。もち米とうるち米のお餅の食感も それなりに美味しいことを知ってほしい。完璧な文法でなくても 英語でコミュニケーションする楽しさを知ってほしい。 美沙子さんは、おはぎだけでなく、きっと自分も許せなかったのだと思う。そんなふうに思うと、 苦手だった美沙子さんの辛さが、 少しは理解出来る気がしたのだった。