オードトワレの時間旅行


書斎の本箱を整理していて、

真由は古いオー・ド・トワレを見つけた。

20年前のローマ旅行の折に

買い求めたものだ。


瓶の蓋を開け、

手首に少しオー・ド・トワレをつけると、

上品な大人の香がした。


20年前と同じ香だった。


 その香はいとも簡単に

真由を20年前のローマに連れ戻した。


真由は20年前の夏、

遅めの夏休みを取って

初めての一人旅であり、

初めての外国でもあるローマへ旅立った。


航空券とホテル、

空港とホテル間の送迎がついた

格安ツアーに参加したのだった。


 ローマでの初日、

真由はあらかじめ計画していた

バチカン美術館に向かっていた。

地下鉄の駅でのことだった。

自動券売機で切符を買おうとしていた時、

同じように切符を買うのに

手間取っていた一人の青年に出会った。


 同じ格安ツアーで

日本から来た青年だった。

そんな気安さから真由は青年と一緒に

バチカン美術館に行くことになった。


青年の名前は「ヒロキ」と言った。


 真由とヒロキは一緒に、

広大なバチカン美術館を見学し、

バチカン美術館の迫力に魅了され圧倒され

軽い興奮状態に陥った。


同じ感動を経験したことから、

二人は不思議な連帯感を持ち、

その後も行動をともにした。 


バチカン美術館の見学の後は、

サン・ピエトロ大聖堂を訪れ、

クーポラまで上りその眺望を楽しんだ。


 ローマの街の人が行く

庶民的なレストランで

パスタやピザに舌鼓を打ち、

コロッセオやフォロ・ロマーノ、

トレビの泉、

「ローマの休日」で有名な

スペイン広場など観光地を巡った。


観光地も興味深かったが、

真由にとっては、

ごく普通のローマの人々が生活する

街角の様子が面白く感じられた。

露店やスーパーマーケットに行って、

見慣れない野菜や食品を

眺めるのも楽しかった。


ヒロキはそんな真由を

不思議そうに眺めながらも

真由と一緒に素顔のローマを

楽しんでいる様子だった。


旅程も押し詰まった頃、

ヒロキは言った。


 「真由はプラダとかエトロとか、

イタリアのファッションブランドに

興味はないの?

せっかくローマに来たのだから、

思い出に何か買えば?」と言った。


真由はヒロキの言葉に納得し、

ホテル近くのデパートに

行ってみることにした。


バッグやスカーフに興味はなかった。

唯一ファッションブランドで

興味があったのはフレグランスだった。

デパートの化粧品売り場に行った時、

真由はあるオー・ド・トワレが

人目で気に入った。


ドレスの裾をつまみ上げたような

半円形の瓶が気に入った。

香りは真由がつけるには、

少し大人過ぎる気がしたが、

迷わず買った。 


 ヒロキはオー・ド・トワレの香をかぐと

 「いい香りだね」 とだけ言った。


化粧品売り場を離れると、

デパートの地下でお土産を買った。

急に帰国が意識にのぼった。

昼食はデパートのレストランで済ませた。 


「なあ、アドレス交換しよう。

帰国したら

一緒に撮った写真と手紙もくれよな」

とヒロキは言った。


当時は今のように

インターネットも発達しておらず、

写真もデジタルではなく、

フィルム写真だった。 


 彼のくれたメモには、

「筒見博貴」と言う名前と、

住所が書かれていた。


旅の最終日、博貴と真由は、

紀元前には治療所があったという

テベレ川の中洲ティベリーナ島を訪れた。

中洲のカフェで少しワインを飲んだ。


カフェを出ると、

気持ちの良い川風が吹いていた。

真由の前を歩いていた博貴が、

立ち止まって振り返り、

軽く真由の肩を抱いた。


 「いい香りだね。

思い出のオー・ド・トワレだね」

真由が軽くうなづくと、

博貴は腕に力を込めていった。


 「真由、一緒に来いよ。

別れたくないよ」 


真由は、博貴の腕の中で、

オー・ド・トワレが強く香るのを感じた。


 帰国後、真由は博貴に

写真と手紙を送ったが返事はなかった。


 真由はずいぶん長い時間、

ローマの思い出に

ふけっていたように思ったが、

それはほんの一瞬のことだったようだ。

オー・ド・トワレの時間旅行だった。

    

       <完>

鬱・夫の死を克服した作家:村川久夢の部屋

こんにちは、村川久夢です。 鬱や夫の死のために人生を投げていた私が、やっと取り戻した夢は、自分の思いを書くことでした。自分の思いを書くことで長年苦しんできた「生きづらさ」の正体も見えてきました。生きづらさ、鬱、大切な人の死に苦しむ人と私の経験をシェアしたいと思っています。ここにはそんな私の作品を投稿しています。 <著作> 『大丈夫、きっと乗り越えられる~鬱・夫の死を克服した私からのエール~』

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